反応まとめ
引用元: ・バイク乗りになったきっかけ
大型二輪免許まで取得した。
学生時代に原付き購入
30km/h規制で捕まり原付きに嫌気が差し
中型免許取得
スパルタな先生だったが男の子として憧れるものが色々あったな。
で、高校は3無いで駄目だったから大学生になって普免・中免と取得。
そして3年の秋に限定解除。
社会人になって付き合った子にもあっさり振られてしまった。心身共にズタボロで正直死んでる様な状態だった。一日中ずっと眠り続け食料の買い出しと精神科の通院の日だけ外出する様な日々だった。
鬱の時って本当に体が動かないだ。一日中山登りした次の日の疲労感がどんなに寝て休んでも24時間続いてるような感じだった。人が怖くて、誰も信じられず、このまま死のうかと何度も思った。
少しずつ元気になった俺は会社でのいつも誰かの評価や言動に縛られていたと気がついた。上司の顔色を伺いながら仕事をする事は本当に辛かった。
周りに人がいる前で怒鳴り散らされる屈辱と悲しさはやられたものにしか分からない。あまりにも理不尽で不自由な時間だった。
新聞や小説、ギネスブックなんかを読み漁る時間は割と楽しかったが、なかなか集中力が続かなかった。図書館は老人や子供連れた母親だけじゃなくて割と若い人もいたのが意外だった。
朝から昼過ぎまで図書館にいて、図書館の喫茶店でランチを食べるのが習慣になった。その喫茶店に多分同じ年くらいの若い女の子がいた。背は小さいけど、美人で接客も素晴らしく良く正に看板娘って感じだった。
同世代がハツラツと働く姿をみて自己嫌悪に陥ったりしたけど、いつからかその子に会えるのが楽しみになっていた。でも当時は鬱の薬のせいで性欲が全くなくなってたし、人間嫌いになってた俺は仲良くなりたいとか付き合いたいとか強い願望はなかった。無職だったし。
「いつも喫茶店に来て頂いてありがとうございます」
「あ、いや、その、今休職中で暇だから・・・その・・・」
「そうなんですね。変な言い方してすいません。」
「いや、全然大丈夫です。」
気まずい雰囲気が流れた後、彼女は「では失礼します」と言って駐輪場の奥の方へ移動して行った。それからバイクのエンジン音が聞こえてきて、フルフェイスヘルメットを被った彼女が大きなバイクに乗って颯爽と去って行った。
正直当時はバイク=暴走族って印象で不良が乗る危険な乗り物って印象だったから、清楚そうな彼女は実はヤンキーだったのかとショックと意外性にビックリしたのを受けたのを覚えている。
図書館にも夕方までいるようになって喫茶店内や仕事終わりの真奈美と話す機会が増えた。職場で辛い目にあって仕事を辞めたこと、今リハビリ中な事を話すまでの仲になった。
この頃の俺は職場での事を冗談みたいに話す事ができる様になっていたので随分と良くなっていたんだろう。
二つ返事で乗ってみたいと答えたが、ヘルメットがないので後日ってことになった。その次の週の真奈美が昼で終わる日に初めてバイクの後ろに乗った。
真奈美に言われた様にお尻を両膝で挟み、片方の腕を華奢な腰に回してもう片方はリアシートの出っ張りを掴んだ。初めてのるバイク。すごい加速感にビビりまくって変な声が出た。海沿いの道を走って夕日を見た。未だに忘れられない感動。バイクに乗ってみたいと思った。
それから俺は地元の別の会社に就職して次第に日常を取り戻して行った。週末は真奈美に会うために図書館に通って少しずつ仲良くなっていった。「バイクの免許取りたい」って伝えた時の真奈美の嬉しそうな顔を今でも忘れない。
教習所代を出してくれた親父にも感謝してる。母親は反対してたけど。
バイクは400ccのスポーツタイプを中古で買った。初めてのソロツーリングは真奈美の後ろで行った海辺を走った。
股下から伝わるエンジンの熱と鼓動、ヘルメットから流れてくる潮の香り、バイクの加速感、バイクと一体になってカーブを曲がる気持ち良さ、目的地もルートも休憩も引き返すのも自由で何一つ理不尽な事がない至福の時間だった。
あの真奈美とみた夕日を一人で眺めてると前の職場で溜まってしまった澱みがすぅーっと消えていくのを感じた。生き甲斐を見つけた気がして、目の前の景色に心から感動した。バイク乗りのみんなはこの楽しさ解ってくれると思う。本当に最高の時間だった。
目的地で何かするというよりは目的地まで行く事が目的みたいなツーリングが多かったけど楽しかった。ツーリング先でもグルメや観光には目もくれず、綺麗な景色を見ながら真奈美が作ってくれたおにぎりなんかを食べていた。
雨男の俺が週末雨でツーリングに行けないことに悪態をつくと「前世がカエルだったんじゃない?」っていつも悪戯っぽく笑ってた。
それから可愛い一人娘にも恵まれて幸せだった。残念ながら娘を妊娠してから真奈美はバイクを降りた。俺は大型に乗り換えた後、一人でツーリングするようになったが、たまに娘や真奈美をタンデムシートに乗せて近場をゆっくり走ったりした。
周りが次々とバイクを降りたが俺は走り続けていた。マスツーリングよりもソロツーリングで時間も気にせず自由に行動するのが好きだった。
診断は婦人科の卵巣がんだった。色々検査してお腹の広い範囲に転移があって直ぐに手術ができる状態ではなく、最初に数ヶ月抗がん剤をしてそのあと手術になり、術後も抗がん剤を使って一時良かったが直ぐに再発した。
髪も抜けたままやせ細った真奈美をみるのが辛かった。2年の闘病を経て真奈美は俺たちを残して逝ってしまった。病気が分かってから俺は2年間全くバイクには乗らなかった。
真奈美は「気晴らしにツーリング行ってきたら?」と良く言ってくれたが全く乗る気にならなかった。
娘が高校に通う様になって、ある日ふとバイク置き場を見るとカバーがかかったままの愛車があった。
埃だらけでバッテリーも上がってエンジンもかからないバイクを見て、真奈美と重ね合わせてしまい込み上げてくる熱を抑えきれず、駐輪場で一人泣いた。
真奈美が忍ばせた封筒だった。一部改変して書きます。
「いつもありがとう。そしてごめんね。最近あなたがバイクに乗らないのがとても寂しい。バイクに乗ってるあなたはとっても楽しそうで輝いているから、月日が経てばきっとまた乗りたくなるよ。
だから私に何かあっても好きな事をして楽しく生きて欲しい。バイクがあったから私たちは出会ったんだからね。もしも願いが叶うならあの子が社会人になったら私もまたバイクに乗ってあなたとツーリングに行きたいな。あの子を宜しくお願いします。大好きだよ、ありがとう」
書いてあった日付けは再発がわかった頃だった。
それから直ぐにバイクをショップに引き取りに来てもらって整備した。それまではキチンと整備してたから、割と簡単な整備で元通りになった。
それから俺はまたライダーになった。色々複雑だったけど、俺はやっぱりバイクが大好きだ。歳を重ねてもギリギリまで乗っていたいと思っている。
実はこの春、娘が高校を卒業して看護学校に進むんです。春休みに車の免許を取る予定だったのに娘は普通自動車二輪の免許を取りました。しかもバイクの免許代は自分でバイトして貯金して。
「バイクの免許取って良い?お母さんも免許持ってたんだよね!」って聞いてきた時は思わず娘を抱きしめてしまった。
そしてついに今週末、娘の初めてのバイクが納車される予定です。少しなれたら真奈美と行ったあの海辺に二人でツーリングに行こうと思っています。
みなさん安全運転でお互いバイクライフを楽しみましょう。ありがとうございました。不快にさせた方がいたら申し訳ありませんでした。
とても悲しいけど、素敵な話ですね。
読んでいて、こちらも泣けてきました。
そういうきっかけでバイクに乗り始め、再び走り出す決意をしたのなら、くれぐれも事故に遭わないよう、娘さん共々気を付けて運転してくださいね!
たくさん幸せな出来事がありますように。。。